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黄緑色の花

 僕は草原の中で、離れたところにある、丘の上を眺めていた。
 そこには光が射し込み、やがて、一人の女の子が現れた。
 彼女は僕ににこりと微笑みかけ、息を吸い込み――

 そこで目が覚めた。
 僕はしばらくぼんやりとしていたのだが、やがて、先程の情景は夢であり、今この時が現実であることに気付く。
 思わず溜め息を漏らしたのは、その夢の内容が、あまりにもこの現実に起こりえるとは思えなかったからである。
 夢のことを忘れたくない。
 SNSに書き込んだ僕の小さな覚え書きに、しばらく経ってから反応がついた。
 花の写真の、初めて見るアイコンだ。
『貴方の見た夢の景色に、似た景色を知っています。』
 その一言に、僕はどきりとした。
『違っていたら本当に申し訳ないのですが、私の思うその景色が見える場所に、私は明日行きます。もし良かったらご一緒しませんか。』
 この時分で僕は、夢に出てきた彼女が僕と同じ夢を見て気付いてくれたのではないかという、よくわからない期待のようなものがあった。
 もちろん、相手が男性で、僕をからかっていたり、壺を売りつけられたり、自分の臓器を売ることになるかもしれない可能性だって考えはしたが。
 幸い、相手が示した場所が足を運べる場所だった為、僕は試しに行ってみることにしたのだった。

 翌日、待ち合わせ時間より少し早くその場所に行くと、予め伝えられていた恰好の人が既に立っていた。
 薄紫色のトートバッグに、てるてる坊主のストラップが揺れている。
 社会人らしい若い女性は、僕がいるのに気付くと、しばらくこちらの服装を眺めてから、表情を明るくして言った。
「こんにちは、お約束していた者です。本当に来て下さるとは思わず、反応が遅くなってしまってすみません」
「いや、こちらこそ。臓器が無事でよかったです」
 本当に、まともな相手が来るかどうかなんて分からなかったのだ。
 失礼かとは思いつつ、考えていた最悪の可能性の話を述べていると、その女性は真剣な顔で話を聞いてくれた。
「急な話でしたし、内容も伏せてお伝えしてしまって、不信感を持たれても当然です。私もどうしても断られたくなくて、言えずにいました。チケット代はいりませんので、このコンサートに一緒に行ってくれませんか?」
 差し出された紙には、知らない名前と今日の日付が書かれてあった。
「これから行くこのコンサートに、君が見た景色があるんですか?」
「そうなんです、コンサートに行く前に検索をしていたら、たまたま貴方の投稿を見つけて。貴方の見た夢とは違う景色かもしれないのですが、どうしても見て欲しくて」
「分かりました、行きます。チケット代はお支払いしますよ」
 鞄から財布を出した僕を、女性は慌てて制止した。
「いいんですよ本当に、一緒に行く子が急に行けなくなっちゃって、お金はその子が払ってくれてますし。
チケットが無駄になってしまうのが勿体無くて、途方に暮れていたところだったんです」
「それでは、甘えさせて頂きます」
 夢で見た彼女の姿は朧気だったが、この女性では無いのだと感じていて、どこかで僕は少し落胆していた。
 だが、本来であれば何をしていた訳でもない休日に、全く知りもしない人と知らない場所に向かうというのは、何だか面白いものだなとも思えたのだった。

 会場に入り、番号の書いてある場所まで向かってから、僕は女性に尋ねた。
「僕、コンサートとかライブって初めて参加するんですけど、大丈夫なものなんですか」
「はい、今日のコンサートは女の子のアイドルのソロコンサートで、とても平和な現場なので安心ですよ」
「平和な現場……」
 未知数すぎて全然予想もつかないが、女性も周りの人達もうきうきとしていて、始まる前から楽しそうだ。
 僕は初めての経験に緊張して辺りを見渡したが、このたくさんの人の中に、僕の様な初心者がどのくらいいるのかは、全く見当がつかなかった。
「そうだ、初めてのコンサートを一緒に楽しむ為に、ライトをお貸ししますね」
「ライト?」
 女性が手にしたのは紐のついた棒だった。
 新品の電池を入れてから、一本を僕に差し出してくれる。
「光る棒です。最初は黄緑色にセットしてありますので、始まったらこのボタンを押してライトをつけてください」
「黄緑色……」
 周りの人達もライブが始まる前に点くかどうかの確認をしている様だったので、自分も試しに点灯させてみた。
 メロンソーダより明るいその色は、眩しいながらも目に優しく感じた。
「始まったらその色でしばらく振って頂いて、最初の曲の歌詞の2番が終わって、最後のサビを歌い始めたら、みんなが好きな色に変えるので、そのタイミングで他の色に変えちゃって下さい」
「他の色、」
「こっちのボタンですね」
 教えられるままに操作すると、ボタンひとつで色んな色に変わった。
「凄い……」
「本当にライト使ったこと無いんですね」
「懐中電灯ならあるけど」
「スイッチのオンオフの使い方としては似たような感じですね」
 それからは、どんどん周りの人達が増え始め、僕は見よう見まねでライトの紐に手首を通しながら、女性を見た。
 女性が笑いながらも、目線で前を向く様に促したので、僕はステージの方に視線を送る。
 照明が消え、周りの人達に合わせ、自分の手元のライトを点灯させていると、会場にそれまでより大きな音で音楽が流れ始めた。
 歓声が上がる。
 周りの人達の手拍子やライトの揺れ、音楽に合わせて掛けられる合いの手に驚きながら、僕も高揚感を感じていた。
 やがて、音楽が鳴り止み、会場中が一斉にしんと静まり返ると、スポットライトと共に、一人の女の子が現れた。

 この子だ。
 夢で見た姿ははっきりとしていなかった筈なのに、僕には分かった。
 太陽の様に明るい色の髪が二束、動く度に揺れる。
 瞳は、会場にいる人達、全員を慈しむ様に、優しい色をしていた。
 ステージから一番前でなくとも、離れていても、間違いなくそれが分かる。
 黄緑色のライトは、あの夢で見た草原の様だった。
 女性の言った光景はこのことだったのか、と思っていると、ステージに立つ彼女が歌い始めた。
 周りの歓声は確かに高まっているが、不思議と彼女の声だけが僕にはっきりと届く。
 まだ大人になりきっていない少女のその声は透き通っていて、甘く可愛らしい。
 普段音楽に深く触れていない僕でも分かる、彼女の歌は心に響く。
 この会場のファンの人達は彼女の歌が好きで集まっているんだということが凄く伝わった。
 そして――

 コンサートが終わってから、黄緑色のライトの電源を切って、隣に立つ女性にそれを返した僕は、項垂れながら言った。
「すみません。予め伝えてくれていたのに、皆が色を変えるところ、僕だけ色を変えそびれてしまって」
 最初から最後まで、僕はライトの色を変えることが出来なかった。
 ライトを握りしめた手が、指が、動かなかったのだ。
 黄緑色だったライトが一斉に様々な色に変わるのは、本当に圧巻だった。
 ステージの上の彼女はそれを見て、本当に嬉しそうに言った。
「綺麗なお花畑をありがとう」と。
 それを思い出して、僕は溜め息をついた。
 夢に出てきた彼女だったのに、花の一輪も捧げる事が出来なかったのだ。
 実際はライトだと分かってはいても、彼女の笑顔を思い出すと、色を変えることが正解だったのだと思い知らされる。
 隣の女性は会場の出口に向かう様、僕を促してから、笑って言った。
「私も、初めてコンサートに行った時、感動してライトを握りしめてしまっていて。隣の人に教えて貰っていたのに、色を変えるのを忘れてしまったんです。でもその人が、黄緑色の花だって、凄く綺麗だよって言ってくれたんですよ」
「黄緑色の、花…」
「はい。もちろん、葉っぱのままでも素敵だと思いますけど。感動した私のその時の気持ちは、その人が言ってくれたみたいに黄緑色だったのかもって思って。だから、貴方の花も、その時の私と似た黄緑色のお花だったのかもしれません」
 歩きながら、懐かしむ様に目を細めて女性は言った。
 女性の優しさに、少しだけ気が楽になった。
「今日はありがとうございます、連れて来て下さって」
「こちらこそ、お付き合い頂いてありがとうございました。初めてのコンサート、楽しんで頂けた様でよかったです」
 僕の書き込みに気づいて貰えて良かった。
 声を掛けてくれた人が、優しい人で本当に良かった。
 このまま別れてしまうのが惜しくて、もうひとつ、僕は女性に甘えてみることにした。
「あの、また彼女の歌を聴きたいんだけど、どうすればいいかな」
「え……?」
 女性は、目をぱちくりとさせてから、やがて察した様に笑った。
「でしたら、近い内にユニットのライブがあるので、それに行きませんか?」
 私はそのユニットのファンなんですよ、と女性は笑い、鞄についたストラップを撫でた。

 僕のSNSのフレンドに、花のアイコンが新しく並んだ。
 聞くと、彼女やそのユニットのファンの中には、自分の好きな花をアイコンにする人達がいるらしい。
 僕は端末を操作した。
 彼女に似合いそうな、黄緑色の優しい色をした花が、その瞬間から、僕のアイコンになったのだった。

 end.

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