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照らすひかりと、小さな幸せのあかり

 高校生になって二ヶ月が経った頃。
 その日、私は移動教室で廊下を歩いていて、階段の前で、たまたま筆入れを落とした。
 そうしたら、ちょうど屋上へ続く階段から降りてきた男子が拾ってくれた。
 お日様のあたたかさを詰め込んだみたいな金色の髪が、私の目に映る。
「ありがとう、拾ってくれて」
 私が受け取りながら言うと、ちょっと間が空いてから、一言返ってきた。
「おう」
「あ、同じクラス、だよね……?」
 金色の髪のその彼は、毎日毎時間という訳ではないけれど、教室でたまに見る男子だった。
 つい疑問形になってしまったのは、自分と同じ教室から出てきたわけではなかったことと、彼を正面からちゃんと見たことがなかったせいだ。
 彼は私の持っていたノートに書いてあるクラスを確認してから、困った様な表情をした。
「あー、そうみたいだな。わりィ、クラスのやつの名前と顔、あんまり覚えられてなくてさ」
「ううん、私も貴方のこと見たことあるなって思ったけど、名前覚えてないからおあいこだよ。筆入れ、拾ってくれてありがとう、ええと、」
「テル。日が照るの照る、で照って言うんだ、名前」
「照くん、素敵な名前だね。私は、」
「……お前、移動教室なんじゃねえの? チャイム鳴るぞ」
「えっ! あっ、そうだね、行かなきゃ! 照くんは?」
「授業に必要なもん、教室から持ってくるわ。ちょっと遅れるけど授業は出る」
「そっか、じゃあ先に行ってるね、照くん!」
「おー」
 軽く手を振る照くんに、私は一度大きく手を振ってから、早歩きで移動先の教室に向かった。
 

 次の日のお昼休み、彼の席に鞄がかかっていることに気が付いた。
 三限目まではいた気がするので、お昼前からさぼっている様だ。
 ふと、屋上に続く階段を思い出した。
 私はお弁当の包みを持って、屋上へと足を運ぶ。
 屋上に行こうなんて、今まで一度も考えたことがなかったので、とてもわくわくする。
 ドアの前が不良のたまり場になっている、ということもなくて、逆にちょっと拍子抜けしたくらいだった。
 気を取り直して屋上のドアに手を掛けると、それは簡単に開いた。
(……眩しい)
 良く晴れたお昼の屋上は、教室にいる時よりずっと明るく感じた。
「おー、早かったな」
 こちらを見ずに声を掛けてくるのは、思っていたとおり照くんだった。
 誰かを待っていたのだろうか。
「照くん、こんにちは」
 私が声を掛けると、照くんは顔を上げて目を見開いた。
「あれ、昨日の。何してんの」
「ここに照くんいるかなって思って。ごはんここで食べてもいい?」
「おう、いいけど。……あ、待て」
 歩いていって、照くんの隣に腰掛けようとしたら、声を出して止められた。
「あ、ごめんね、昨日初めて話したばかりなのに、隣に座ろうなんて」
「いや別にそれは気にしてねェけど。屋上に直接座るとスカート汚れンだろ」
 見ると、確かに直に座るとちょっと汚れそうだ。
 外だから当たり前だなと思って、ポケットからお気に入りのハンカチを出した。
「や、そんな綺麗なハンカチ使ったら勿体ねえだろ。まだ汗とか拭いてないから綺麗だし、このタオル使えよ」
 そう言いながら、自分の隣にふかふかの白いタオルを敷いてくれたので、申し訳ないなあと思いつつも、私は素直にお礼を言って腰を下ろす。
「あんたさ、」
「何?照くん」
「あー……、名前、何て言うの」
「あ、そういえば言いそびれてたね!」
 ハッとして、私は彼の方に体ごと向いた。
 苗字から名乗ろうとして、彼のことは「照くん」としか知らないということに気がつく。
 質問に質問で返すのも何だか無粋なので、私も名前だけ伝えてみることにした。
「私はゆかりだよ。紫色の紫って書いて、紫」
「へェ……紫チャン。良い名前じゃん!」
 そう言ってにかっと気持ち良く笑うから、私もありがとう、と言ってにっこりと笑い返した。

 お弁当箱を開けたタイミングで屋上のドアが開いて、眠そうな茶髪の男子と、ストレートヘアが綺麗な金髪の女子が一人ずつ、何やら言い合いながらこちらに歩いてきた。
「アンタさあ、おにぎり5個も食べてお腹壊さないワケ?」
「お前こそパンとサラダだけって大丈夫かよ……」
 ふたりは照くんにただいまーと声を掛けてから目の前に座った。
 おかえりなさい、と照くんと一緒に声をかけると、ふたりはバッとこちらを見てから、声を揃えて言った。
「「いや、誰?」」
 私はこんなに人の声って打ち合わせ無しで揃うんだ、と楽しく思いながら、事の経緯を話した。
「……ふーん、で、何で昨日知り合ったって子が、今一緒に弁当食べてんだ?」
 茶髪の男子は久保っちくんというらしい、おにぎりを大きな口を開いて咀嚼して、飲み込んでから私に聞いた。
「あ、もしかして迷惑だった?」
「いや別にいいけどさぁ、アンタいかにも真面目ちゃんって感じだし、アタシたちと一緒にいたらクラスの奴らにハブられたりしそうじゃん」
 彩りの良いサラダと、ちぎったパンを手にそう言った女子は、さっちんさん。
 久保っちくんとさっちんさんは隣のクラスらしい。
「さっちんさんは優しいんだね。でも大丈夫だよ。クラスの子達、私に興味無いみたいだから」
「いや別に優しくないし。てかさっちんにさん付けで呼ぶなし。えっ何、アンタ既にいじめられてんの?」
「そういう訳じゃないけど、私、存在感ないみたいで。教室でも大体一人でいるし」
 そういやさっきも最初気が付かなかったというか屋上の幽霊だと思ってたわ…と言った久保っちくんの頭を、さっちんさんはぱしんと叩いた。
「屋上、幽霊いるの?」
「まあ定番じゃん? 普段入れないとこには幽霊いるって噂あれば、入ってこないっしょ」
 そういうもんなんだ、と感心していたら、隣でノートに何やらガリガリと書き込んでいた照くんが、気が付くと手を止めてこちらの手元――お弁当を見ている。
 照くんは屋上についてすぐお昼を食べてしまった様だった。
「紫チャン、その卵焼き美味しそうだな。親が作ってんの?」
「ううん、自分で作ってるよ。食べる?」
「いいのか?」
「うん、はい、あーん」
 私は照くんがお箸を持っていなさそうだったし、素手で掴まれるのはちょっとなあと瞬時に判断してそう言ったけど、周りの空気が固まったのを感じた。
「あ、ごめん」
 やってしまった。
 普段こういうことをしないから、距離感を間違えてしまったらしい。
 お箸を引っ込めようとしたら、照くんが思い切り食いついた。
「ん、ん。美味い、あんがとな、紫チャン!」
「こちらこそ、食べてくれてありがとう!」
 自分の作ったおかずを誰かに食べて貰ったのは初めてで、喜んで貰えてとっても嬉しい。
 おばあちゃんに教わった味、忙しいお母さんには全然食べて貰えないからなあ、とずっと寂しく思っていたのが嘘みたいに、心が晴れやかだ。
「紫チャン、嫁に欲しいってよく言われねえ?」
「言われたことないなあ」
 そもそもそんな話をする仲良しの友達がいないんだけど、お嫁に欲しいって、そんなに言われるものなんだろうか。
「てか、このふたり距離感バグってない? 久保は変とか思わないワケ?」
「……ふぁ……ごめん、食べたら眠くなって……話聞いてなかったわ……」
「久保……アンタあの量もう食べ終わったの? もうちょいゆっくり食べなよね」
 さっちんさんと久保っちくんも、照くんも、とっても優しくて、居心地が良くて。
 誰かと一緒にいて、心の底からこんなに楽しいと思ったのは初めてだなあ、なんて思った。


 それからはお昼ご飯を毎日四人で食べるようになった。
 さっちんさん、もとい、さっちんが心配していた、クラスでハブられる、なんてことには全然ならなかった。
 そもそも存在感が薄い私がお昼に教室に居ないなんてこと、クラスの誰も気がついていなかったんじゃないかなと思う。
 廊下でさっちんと話していたら、先生に一度だけ、何かあったら相談するんだぞと言われたけど。
 全体の中の下の成績だと告げたら、真面目な見た目なのに私達より成績悪いとかまじ?とさっちんに言われて、皆で一緒にテスト勉強する様になったら、私の成績が上がったので、それからは先生にも何も言われなくなった。
 三人は、たまに授業をサボることもあるけど、しっかりその分、勉強を頑張っていた。
 授業をただ受けてるだけじゃ頭が良くなるとは言えないんだなということを、私は学んだ。

 ある日のお昼休み、いつもの様にお弁当を食べていると、照くんがいつもの様にノートに何か書き込んでいた。
「照くん、そのノートっていつも何書いてるの?」
 今まで気にはなっていたけどなかなか聞けずにいたノートの中身を、私は思い切って聞いてみた。
「おお、大丈夫だぜ。見るか? ほら」
 驚くほどあっさりと、彼は私にノートを見せてくれたのだ。
 もっと早く聞いてみればよかったかなあと、広げて見せてくれたノートを覗き込むと、そこには家具の絵がたくさん描かれていた。
 家具と言っても、ただの家具ではない。
 例えて言うなら、おままごとで使うような、可愛いデザインのものばかりだった。
「可愛い……!」
「お、そうか?」
「うん、とっても可愛いよ! この椅子、背中の所がうさぎさんの形になってるんだね! わあ、こっちは猫ちゃんだ、可愛い……!」
「おー、紫チャンに褒められると嬉しいもんだな! ありがとな!」
 わしゃわしゃと私の頭を撫でてくる照くんは、ノートを手に取り、嬉しそうに笑った。
「俺さ、家具職人になりたいんだよ」
「家具職人……! じゃあ、これはその作りたい家具?」
 まあな、と言って、照くんはさっき描いていた椅子を指先で撫でた。
 その優しい表情に、胸が温かくなる。
「正直普通の家具に比べりゃニッチだとは思うけど、こういう可愛い家具が欲しいって人もいると思ってさ。紫チャンが可愛いと思ってくれてンなら間違いねえな、自信ついたわ」
 照くんの笑顔が眩しくて、こっちが照れてしまうなあ、と考えていると、さっちんがそうそう、と声を発した。
「で、こっちの久保は材木屋の息子で、将来見据えて仲良くしてるってワケよ」
 さっちんさん、もとい、さっちんは、長いサラサラの髪を一つに束ねて、今日はサラダチキンを細かくしたものをサラダと一緒に食べている。
 さっちんの隣でおにぎりを両手に持って食べている久保っちくんを指して言った。
「久保っちくんは、お家の材木屋さんを継ぐの?」
 いきなり話を振られた久保っちくんは、おにぎりを食べきってから声を発した。
「そのつもり。……照と一緒に仕事したいしさ」
 のんびり屋さんな久保っちくんがはっきりと言ったので、私はちょっぴり驚いてしまった。
「そっかあ。ねえ、さっちんも、将来の夢があるの?」
「へ、アタシは……な、内緒!」
「そうなんだ、でもさっちんにもあるんだね、夢。私は……」
「……紫?」
「……何でもない! あ、お昼終わりそうだし、私教室戻るね!」
 急にばたばたと用意をし始めた私を見て、みんながぱちくりと目を見合わせている。
 私は何だか居たたまれなくなって急いで屋上を出たけど、すぐにさっちんが追いかけてきた。
「ねえ待ちなよ! 紫、今日、放課後ヒマ?」
 その言葉に、私はさっきまで抱いていた不安が一気に吹っ飛んでしまった。


 三人でテスト勉強はしたことがあるけど、さっちんと、というか友達とふたりきりでカフェにくることなんて初めてで、私は物凄く緊張していた。
 さっちんはアイスのカフェオレを飲みながら、何でもない様な顔で、お昼に話してた進路……というか将来の夢の話だけどさ、と話を切り出してきた。
「アタシんちは親が忙しくて、弁当とか作れなくてさ。いや、親は気合い入れて作ろうとはするんだよ。でも帰って来て、玄関で寝ちゃったりとかしょっちゅうで。毎日疲れてて、晩御飯だってままならないってとこ見てたらさあ。無理して欲しくなくて。お弁当とか作らなくていい、自分で用意するって言ったんだ。そしたらすごい悲しそうな顔されちゃってさ。親としては何かしてやりたい一心だったのに、いらないなんて言われたら、そりゃ嫌だよなーって思ったんだよ」
「さっちん……」
「夏休みにじいちゃんちに遊びに行った時にさ、じいちゃんが飼ってる犬に、散歩やらご飯やらいらないって態度されて、何かショックでさ。もしかして私の親もそうだったのかもって思っただけなんだけど。それから色々考えて、作り置きのレシピ本も売ってるけど、それも出来ないくらい疲れてる人達の為に、遅い時間もやってる惣菜屋があったらいいなって思ったんだよね」
 話を聞いている内についつい出来てしまっていた私の眉間の皺を、テーブル越しに指で伸ばしながら、さっちんは苦笑した。
 可愛いネイルの爪が少しばかり刺さったけれど、優しさを感じて、くすぐったいくらいだった。
「じゃあ、そのお惣菜屋さんが、さっちんの将来の夢なんだ」
「そう。やっぱ変かな、アタシが惣菜屋なんてさ」
「そんなことない! さっちんなら素敵なお惣菜屋さんが出来るよ、絶対! 楽しみだなあ、私もお惣菜買いに行きたい」
「そっか。へへ、照もこんな気持ちなのかもな」
「え?」
「夢を友達に応援されるのって、こんなに嬉しいもんなんだなーってこと!」
 私は思わずさっちんの顔を見た。
 さっちんは顔を赤くしながらにやけている、でも見られて恥ずかしかったのか、長くて綺麗な髪でその顔を隠した。
 私もそれを見て思いっきりにやけてしまう。
「もー。この話するの、紫が初めてなんだかんね?」
「えっ、照くんと久保っちくんは?」
「言ってないよ、アタシは成し遂げてから言いたいタイプだからさ」
 それなのに、私には言ってくれたんだな、と思うと、何だか気持ちが溢れて、自然と言葉が出てきてしまった。
「さっちん、ありがとう」
 さっちんは私が何でお礼を言ったのか分からない様子だったけど、私は嬉しくて仕方がなかった。
 大切な話をしてくれたこと、友達だって言ってくれたことが、とても嬉しい。
「凄いなあ、照くんも、さっちんも、久保っちくんも。ちゃんと将来やりたいことの為に、今から頑張ってる。私、何にもないんだよね。焦っちゃうなあ」
「別に、そんな考えなくてもいいんじゃね。ゆかりのやりたい事だって、そのうち見つかるかもしれないじゃん。見つかったら、その時頑張ればいいと思う。まあ、周りと比べて焦るってのは分かるけどさ」
 さっちんは髪を整えながら笑って言った。
「さっちんも、周りと比べちゃう時があるの?」
「そりゃあるよ。人間、誰だってあるでしょ」
「そっかあ」
 私はその言葉にちょっと安心して、自分の手元を見つめた。
 やりたいこと、とりあえず、思いついたら何でもやってみよう。
 さっちんの顔を改めて見ていたら、私はあることを思いついた。
「……あのね、さっちん、もしよかったら、なんだけど……」
 その後に続いた言葉を聞いたさっちんは、びっくりして、それから今までで一番の笑顔で笑った。


 それから、高校、大学を卒業して、私はあるお店で働くようになった。
 さっちんの夢が形になった、お惣菜のお店だ。
 高校生の頃のお昼休み、簡単で素朴な味がするおかずを詰めた私のお弁当を、さっちんはよく見ていて、たまに私のおかずとさっちんのサラダの野菜とで交換したりしていた。
『うま。毎日食べたい味なんだよね、紫の作るおかずって』
 さっちんは大抵サラダとパンでお昼は済ませていたけれど、いざ料理をすると味が奇抜になりがちなのだと言っていて、私の普段のお弁当のおかずが好きだとよく褒めてくれていた。
 だからあの日、私は自分の夢が見つかるまで、さっちんのお惣菜屋さんを手伝いたいと言った。
 さっちんは、夢ができたらいつでもそっちにシフトしていいからね、と言いつつもとても喜んでくれて、お店が出来る前から、一緒にたくさん頑張ってきた。
 
 お惣菜屋さんのオープン前日、準備を万端にして、私は夜道を帰ろうとしていた。
 とっぷりと更けた夜の空気に、高揚してあたたまっていたからだが、ぶるりと震える。
 ふと、角の電柱のところに、照くんが立っているのが見えた。
「紫チャン」
「あれ、照くん、どうしたの?」
「帰りでしょ、送ってく」
 ちょっとそわそわする。
 それというのも、私はさっきさっちんからとんでもないことを聞いてしまったのだ。
「あのさあ、紫チャン聞いた? さっちんと久保っちのコト」
 そう、まさにそのことだった。


 その知らせを聞いた時、私は大変驚いてしまった。
「じゃあ帰るね、明日は頑張ろうね!」
「あー、待って、紫。話あんだけど……」
 先程まで普通に話していたさっちんが、話しながらどんどん顔を下げていってしまうものだから、私は心配になって顔を覗き込んだ。
 さっちんは、顔を真っ赤に染めながら、しばらく口をもごもごとさせていたけど、意を決した様に顔を勢いよく上げてから言った。
「アタシ、プロポーズされた。久保に。で、そのうち結婚するつもり」
 私は一瞬何のことか頭が回らなかったが、その言葉にひっくり返りそうになった。
「え! 久保くんと? さっちん、照くんのことが好きなんじゃなかったの?」
「は? 何でそうなる訳?」
「だ、だってさっちん、照くんのことは下の名前で呼ぶけど、久保っちくんのことは名字で呼んでるじゃない」
「アタシは好きな男の名前とか恥ずかしくてむしろ呼べないタイプなんだよ。てか、照のことは、紫だって名前で呼んでるじゃん」
 突っ込みながらも照れて笑ったさっちんは、正に恋する乙女といった可愛い表情をしていたので、私は一気に納得した。
 さっちんは私に、中学の頃からずっと久保っちくんの事が好きだったことや、照くんもふたりの気持ちをずっと知っていたことを話してくれた。
「わ、私、全然気が付かなかった……!」
「それくらい、紫の前ではみんな自然体で居られたってこと。照とアタシたちとで三人だった頃より、紫と会ってからの四人でいた間の方が、ずっと楽しかったし、……久保のことだって、もっと好きになったよ」
 私はさっちんから思い切り好きの感情が伝わってきて、嬉しくなって、ちゃんと言うことにした。
「さっちん、さっきはびっくりしちゃって言えなかったけど、改めて、婚約おめでとう!」
「ん。ありがと」
 安心したように、嬉しそうに笑ったさっちんに、私もにこにこしてしまう。
「ていうかさあ、紫。そういう風に……アタシのことを好きだと思ってた、なんて知ったら、照、ショック受けると思うよ?」
 とにかくおめでたい!の気持ちで頭がいっぱいで、その言葉は都合よく聞き流してしまっていた。


 それなのに、照くんとふたりきりになった途端、その言葉を思い出して、よくわからないけど何だか急に緊張してしまっている。
 そう、私はずっと、照くんのことが好きだった。
 多分、初めて筆入れを拾って貰った時から心が動かされていて、一緒にいる内に少しずつ、好きの気持ちが育っていっていたんだ。
 照くんの優しさに、笑顔に、私はたくさん幸せを貰ってきた。
 今こうして一緒に帰っているのは、神様がくれたチャンスなのかもしれない。
 私は照くんの気持ちが聞いてみたくなった。
 さっちんは違うって言っていたけど、もし照くんがさっちんの事が好きだったんだとしたら、友達として話を聞いてあげたい。
 でも、さっちんと久保っちくんが結婚するから、俺も好きな人と結婚しようかな、とかそんな話になっちゃったら。
「……それは嫌だなあ」
 思わず漏れ出た私の小さな声に、隣で照くんがぴくりと反応した。
「……あの、さ。もしかして、紫チャン、久保っちのことが好きだったりしたのか?」
 その言葉に、私はびっくりして夜中なのに大きな声が出てしまう。
「え! あ、ごめんね、声のボリューム大きかったね、気をつけなきゃ……。えっと、久保っちくんは友達としては好きだけど、恋とかそういうのではないよ」
「お、おう、そっか」
 安心した、というのが思い切り伝わってくる。
 照くんは優しいから、私が失恋しちゃったのか心配してくれたのかもしれない。
 私は嬉しい気持ちと不安がぐるぐる混ざって、足元を見つめていた。
 しばらく黙ってゆっくりと歩いていたけれど、やがて照くんの歩みが止まった。
 照くんは、今まで見てきたどんな表情よりも一番顔を赤くして、でも一番真剣な顔で、私を見る。
 私も、それに応える様に照くんの瞳を見つめた。
「紫チャンのことが好きだ。俺と付き合って欲しい」
「え……?」
 予想出来なかった言葉に、私は反応が遅くなってしまった。
「あー……自意識過剰かもしれねぇけど、紫チャン、俺のこと好きなのかなってずっと思ってたんだ。だからさっき、もしかしたら全部勘違いなのかもって思ったら、滅茶苦茶焦っちまって」
 ちょっと早口で話す照くんは、一生懸命でとっても可愛く見えた。
 照くんが、私のことを好き。
「おんなじだね」
「へ?」
「私も、照くんはさっちんのことが好きなのかなとか、他の人と結婚しようかなって思ってるのかと思ってた」
「いや、俺はずっと、紫チャンのことが好きだから」
 そうきっぱり言った照くんは、まっすぐ私を見つめる。
 私は何だか胸がぎゅっとして、涙がじわじわ浮かんできた。
 夜は暗いけど、星のひかりと、家々のあかりと、照くんの瞳の煌めきが、私の目に浮かんだ涙に反射して、きらきらと世界を輝かせる。
「照くん、私も、照くんが大好きだよ。私を彼女にして下さい!」
 そう言って、私は手を差し出した。
 照くんは、ごくりと唾を飲み込んでから、私のちょっと震えている手を見て、表情を和らげた。
「ありがと。……俺、紫チャンのこと、大事にする」
 お互いに何年も抱えてきた思いが通じたこの日、私と照くんは握手をして、お付き合いを開始することになった。


 それからまた何年か経って、私は可愛い家具を作ることで人気の職人さん、胡桃沢照くんと結婚した。
 周りからは不良だと言われていた照くんと、地味で真面目な私は、平和に慎ましく暮らしている。
 子どもはとっても可愛い女の子が二人産まれた。
 名前は私と旦那様のふたりから考えてつけたけど、大きくなったら読みづらいって怒られちゃいそうな難しい漢字を使っていて、そこだけはちょっと不良っぽいなと笑ってしまった。
 お姉ちゃんは気が強くて、妹はちょっぴり大人しい。
 成長して、お姉ちゃんが、明日から学校に行きたくないと言った時は驚いたけど、自分が誰かとぶつかることで妹に迷惑がかかる、というとても優しい理由を聞いた上で、私はある約束をした。
「誰かとコミュニケーションを取ることを諦めないこと。学校に行かない分、勉強を頑張ること。自分を磨くこと。」
 私と照くんたちが出会ったのは学校だけど、きっと学校じゃなくたって、素敵な出会いやいろんな経験はできると思う。
 だから無理して行かなくてもいいけれど、今は必要ないと思ってもいつか役に立つ時が来るかもしれない色んなことを、全力で頑張って欲しいと、私は伝えた。
 そして、彼女は高校一年生まで家にいて、所謂引きこもりをしていた。
 でも学校に通う女の子達に負けないくらい、素敵に育ってくれたと思う。
 高校二年生になった今では、妹と一緒にアイドルをやっているのだから、人生ってどうなるかわからない。

「私、やりたいこと見つかったよ」
 私はさっちんに言った。
「え、なになに、聞かせてよ」
「大好きな友達のお店で一緒にお客さんを笑顔にして、可愛い家具を作る職人の旦那様と、可愛い子どもたちと、大好きなみんなと幸せに暮らしていくこと!」
 そう言ったら、さっちんは、それ今もじゃん、と笑顔で私に言った。
 私は大きく頷いた。
 私のやりたいことは、今も、これからも続いていく、この素敵な人生なのだと、笑ってみせた。


end.

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