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宵に、太陽に導かれる

 西の地方に住んでいた僕と姉は、一緒に暮らしていた祖母が亡くなった為、都内の両親の家に引っ越してきた。
 仕事が忙しく海外に出向くことも多い両親は、一年の内に家に帰ることは片手で数える程しか無く、同じ家に住んでいたところで顔を合わせることはほとんど無い。
 それでは寂しいだろうと幼い僕らを案じて引き取り一緒に居てくれた明るく優しい祖母は、僕等に色んな家事を教えてくれた。
 それぞれ得手不得手はあるけれど、大抵の家事はこなせるくらいになっていたのだ。
 僕は正直なところ、そのまま祖母の家でふたりで暮らしていても良かったんじゃないかと思っていたけれど、ふたりとも小学生だったこともあって、子供だけで生活をするのは無理だとお葬式に来た親戚たちに言われてしまった。
 それを聞いた姉は、まっすぐな眼差しを僕に向けて、両親の家で暮らそうと言ったので、僕は黙って頷くしかなかった。
 姉がその場で電話を掛けると珍しくすぐに繋がったので、葬式が終わったら両親の家で一緒に住んでもいいかを尋ね了承を得て、僕らは育った街を離れることになったのだった。

 この家に来た春、姉はちょうど中学に進学するタイミングだった。
 アイドルの衣装のデザインをし、自分のブランドを立ち上げるのが夢だという姉は、アイドル学校の門をくぐった。
 より近くで多くの衣装や製作物を見たり触れたり出来る様に、現場で実際に身に着けながら勉強をしたいということだった。
 実際に着る本人の立場になってみなければ、素材が肌に触れた感触も、重さも、生地から生まれる音も分からない、とは姉の言い分だ。
 明るく愛嬌のある姉は、アイドルとしてしっかり人気を獲得し、着実に勉強と仕事をこなしていった。
 僕の方はと言うと、芸能に関する仕事をしている人間の多い宵谷家の中で(遠い親戚も含めると自分が知らない人もいっぱいいるんじゃないだろうか、宵谷姓の業界人は本当にそれくらいたくさんいる)、芸能人にはならないつもりで勉強を頑張って塾に通う日々を過ごしていたけど、とあるきっかけから自分も小学生アイドルになっていた。


 この街で暮らし始めてから、一年と少し経った、初夏の夜のこと。
 都会での生活にもすっかり慣れ、僕と姉は相変わらず、ほとんどの時間をふたりで暮らしている。
 派手なカラーの衣装を纏いツインテールを揺らしているアイドルの姿とは異なり、モノトーンの私服にフレームの太い眼鏡を掛け、ボリュームの多い髪を簡単にポニーテールにまとめた姉は、居間でデザイン用のノートを広げながら、生地見本とにらめっこをしている。
「お姉ちゃん、ここ置いとくで」
 僕は台所で握ってきたおにぎりと湯気の上る梅昆布茶を、姉の手元から少し離れた場所に置いた。
 姉は顔を上げてにっこりと笑う。
「ありがとうな。まこちゃんの作るおにぎりも、 あったかい梅昆布茶も大好きやで」
「せやったら冷めへんうちに、適当なところで休憩しいや」
「もうちょいやってから……と言いたいとこやけど、ちょうどお腹空いてたし頂こかな」
 それなら、と自分の分も持って来て、一緒に手を合わせた。
 いただきます!と元気な声を上げてから、ふたりでおにぎりを食べる。
 一緒に食べるご飯は、シンプルなおにぎりだとしてもとても美味しい。
「そうやまこちゃん、もうすぐ誕生日やけど何か欲しいものある?」
「高級炊飯器かなあ。かまどで炊いたみたいな、一粒一粒もっちりふっくらしたご飯炊けるやつ」
 そう言うと、姉は頬を引き攣らせた。
 この間一緒に見たテレビ番組で値段を見て高い高いと騒いでいたのを思い出して笑いそうになる。
「それはあったらうちも嬉しいけど、中学生が買うには高すぎるやろ、家電は。あ、そうや、おとんとおかんに頼みいや。普段帰ってこんし、ちょっとくらい我儘言っても罰当たらんやろ」
「せやな、そうするわ。後でメールしとこ」
 僕がそう返すと、姉は鞄から財布を取り出してその場に立ち上がり、声を高らかに上げて言った。
「予算はそんなにありません! でもなるべく希望に沿いたいと思います!」
 まるで選挙に出馬する政治家みたいにあまりにもはきはきと言うものだから、僕は思わず笑ってしまう。
「なんやねんそれ。ていうか、別にプレゼントとか無理して用意せんでもええんやで」
「ちゃうねん、うちが毎年ちゃんとプレゼントあげてお祝いしたげたいねん、まこちゃんにお嫁さん出来てもずっとな」
「めっちゃ先やん、僕まだ小学生やで」
「あっという間やろ、そんなん」
 ご馳走さん、と手を合わせた姉は満足そうな顔をして、のんびりとしたペースで食べ続ける僕を見た。
 まるで今の僕を目に焼き付けようとしている様だ。
 僕は何となくその視線がこそばゆくなって、話を変えることにした。
「誕生日プレゼントはともかく、最近思ってたこと言ってもええ?」
「なんや?おねーちゃん何でも聞くで!」
 普段からそれなりに甘えているとは思うけど、姉は僕に頼られるのが好きらしい。
 僕の前ではいつだって太陽みたいな姉は、誰かを頼ることがあるんだろうか。
「僕な、お姉ちゃんが早くデザイナーになればええのにって思っててん」
「ふんふん、……早く? どういう意味?」
「あんな、僕、お姉ちゃんがデザイナーとして今デビューしてたら、僕がアイドルやってる間に衣装作って貰えたのになあって」
「お姉ちゃんが作った衣装、着たいん?」
「うん。アイドルになってからやけど、お姉ちゃんが凄いことやろうとしてるんやって分かったし、たまにデザイン書いてるとこも見るけど、ほんまにかっこいい。何より、お姉ちゃんのデザイン、めっちゃ好きやねん」
 姉は照れを隠さず、嬉しさで今にも駆け出しそうにうずうずしている様に見える。
 学校ではぽちこなんて犬みたいなあだ名で呼ばれているらしいけど、こういうところも含めてなのだろうか。
「ほな、お姉ちゃんがデザイナーになったら衣装作ったるよ」
「ありがとう。でも、それじゃ遅いねん」
「なんで?」
「お姉ちゃんは高校生からデザイナーに向けて本腰入れて勉強するって言ってたやん。僕は、それまでアイドル、やってないかもしれへん」
 僕がいるのは、文具メーカーの宣伝の為に、オーディションでデビューが決まった小学生アイドルユニットだ。
 可愛い僕と、ちょっと生意気なあいつの、ふたりの小学生を売りにしている今の売り方じゃ、中学生より先の活動はどうかなるかなんてわからない。
「まこちゃんは、アイドル続けたいん?」
「今は正直、先の事はわからへんけど……。そもそも、芸能人はならへんつもりやったんや、……僕は、家族を大事にしたいと思って」
 両親のことを言いたいのだと主語が無くてもわかったのか、お姉ちゃんは開きかけた口を噤んだ。
 僕だって両親が嫌いな訳でも、芸能人が嫌いな訳でもないけど、心のどこかで芸能関係の仕事じゃなければもっと家族一緒の時間を過ごせたんじゃないかとは思う。
「そう思ってたんやけど、アイドルとしてデビューして実際活動していく内に、新しい世界が見えることにわくわくしたり、ファンの人達の元気貰ったって声を聞いたりすることで、芸能人もええなあって思う様になって。そうしたら、もっと欲張りになって」
 何となく喉が渇いたからお茶を飲んで、梅昆布茶の梅がちょっとすっぱいかな、と思ってたら、想像よりしょっぱくてびっくりした。
 胸がいっぱいになって、いつの間にかちょっと泣いてたらしい。
 姉は少し動揺しているみたいだったけど、僕はそのまま思っていることを口にした。
「お姉ちゃんの作った服、着てみたいなって。
あと、今の小学生用の文房具だけじゃなくて、もっと先も、今の文具メーカーに関わっていきたいねん。何か、凄いねん、文房具。最先端の技術が詰まってるねん、そういうところもめっちゃ好きや。
僕、不安なんかな。今の契約が終わったら文具メーカーの宣伝の仕事も終わって、ユニットが続けられるかもわからへんし。アイドルが続けたいとか、あいつと一緒にユニットでいたいとか、そういうの抜きにしても文房具に関わっていきたいとか、色々思ってもうて」
 僕は普段、外ではおしゃべりな方じゃないつもりだから、こんなに思っていることを話すのは姉にだけだと思う。
 支離滅裂に思っていたことをただ話していただけだけど、何だか話している内に考えがまとまってきた気がするから、相談することって大切なのかもしれない。
「さっきお姉ちゃんには、僕まだ小学生やでって言ったけど、中学生になるん、ちょっと不安やねんな。
あー、何か言ったらちょっとすっきりしたかもしれへん! お姉ちゃん、聞いてくれてありがとうな!」
 僕は残っていたおにぎりをもぐもぐと咀嚼しながら、やっぱりちょっとしょっぱいな、と思った。
 姉はそんな僕の様子を見て、考え込むようにうーんと唸りながら、三角座りをした。
「まこちゃん、それ、言ってみたらええんちゃう?」
「え?」
「こうしたい!って思うことは、どんどん言っといた方がええよ」
 姉は、三角座りをした足を一旦崩してから、またしばらくうんうんと何やら考えている。
「そうやなあ……例えば、文具メーカーのイメージユニットは、小学生が使う文房具の宣伝をしてるんやろ?文房具って、中学生より先、高校生、大学生、社会人になっても使うやん」
「うん! 僕、そういうところも好きやねん」
「せやったら、その世代に応じた宣伝もしてると思うねん。その辺よくよく調べてみて、僕もこうやってこの先も文房具使っていきたい、一緒に宣伝もしていきたいって、メーカーの人に伝えてみたらええと思う。メーカーさんはそう言って貰えるの嬉しいと思うし、実際にどうなるかはわからへんけど、運が良ければ契約の更新も検討して貰えるんとちゃうかな」
「え、そ、そうかな」
「うん、だって、メーカーさんが自信をもって作ってる文房具に、そのままユニットで起用されたら嬉しいけど、そうじゃなくてもこれからも関わっていきたい、なんて言われたら、絶対嬉しいやろ。
うちもさっき、まだブランドも出来てないのに、うちの服着たいって言ってくれたの、めっちゃ嬉しかったもん」
 そう言った姉が本当に嬉しそうに笑ったから、僕も何だか安心して、やっと笑えた。
「そっか、そうかも」
 だったら、まずは色々調べてみるのと、ユニット相手のあいつに話してみようかなと思った。
 仲が良いかと言われると素直には頷けないけど、信頼できる相手だし、もしやれるなら一緒に続けていきたいからだ。
 僕がどんどん先のことを考えていると、姉は僕のお皿に載っていたたくあんを一枚、自分の口に運んでから言った。
「うんうん、やっぱりまこちゃんの笑顔は天下一品やな!」
 僕ももう一枚のたくあんを箸で掴みながら言う。
「ラーメンちゃうけどな」
「餃子もつけといてや!ってなんでやねんー!」
 しょーもないやりとりだけど、ふたりしてお腹を抱えてしばらく笑った。

 学校や現場では、関西弁なんてかっこわるい!と思って標準語で話している僕は、自分が普段関西弁で話していることがばれるのが嫌で、外では姉を避けてしまう。
 思春期だし恥ずかしいんだな、と言いながらも声を掛けてくる姉に、毎回ひやりとさせられてしまうけど。
 僕はこの太陽みたいな存在の姉が、大好きな自慢のお姉ちゃんであると、心の底から思っている。


end.

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