好きの形が変わっても
ある日、大学の構内のベンチで座っていたら、声を掛けられた。
「よ! 隣、座っていいか?」
「北条さん。いいですよ、どうぞ」
金色の髪を大ぶりなポニーテールでまとめた彼は北条さんといって、俺のひとつ上の大学の先輩だ。
同じライブハウスで演奏をしているのがきっかけで、最近お互いに認識した、という程度の間柄である。
今度やるライブの話や、最近サポートで入ったバンドの話などについてひとしきり話した後、そういえば、といった風に彼は言った。
「白石って、学年一個下だけど、俺のこと苗字にさん付けで呼ぶよな。先輩とは呼ばないんだな」
「うちの大学の先輩とは知ってたんですけど。北条さんの音楽聴いて、凄いって、負けてられないなって思ったんですよ。だから先輩っていうより、ライバルみたいに勝手に思ってて」
ちょっと生意気に思われてしまうかもしれないが、本心なので言い切った。
表情を伺うと、納得した様な表情の北条さんと目が合い、ほっとする。
が、北条さんの口から出たのは、想定外の言葉だった。
「蛍センパイって呼んでみてくれないか?」
「はい……?」
俺は頭に疑問符が浮かび、そのまま声色に乗せて口に出した。
「ああ、急にそんなこと言われても驚いちゃうよな。昔、俺のことをそうやって呼んでくれてた子がいて、探してるんだけどさ。ほら、この子」
そう言ってスマホの画像を見せらせた瞬間、俺は思わず音がするんじゃないかというくらいの勢いで固まってしまった。
画面の中にいたのは、水色の髪に、水色の瞳、ゆめかわいい系統の服を着た、かつての俺の姿だったからだ。
「この子、俺の好きな子で、『☆ツインクル☆のかづきちゃん』っていうんだ。この写真の頃は中学生だったんだけど、今は多分、大学生くらいでさ」
話の内容はしっかり聞こえているが、頭がくらくらする。
いずれ誰かにバレる日がくるかもしれないとは思っていたが、まさか大学内でこんなにストレートに聞かれるとは思いもしなかった。
握った拳に力を入れて、ゆっくり息を吐く。
「へえ……そうなんですね。何で、また俺にそんなことを……?」
緊張や色んな感情で冷や汗が凄いが、表情には出さず投げかけると、北条さんの後ろから声がかかった。
「おい北条ー、お前また後輩にそれ聞いてんのかよ。手当たり次第だなー。その内、後輩全員から引かれるぞー」
どうやら北条さんの友人らしく、しばらく言葉を交わしてからその場を去っていった。
俺は、そのやりとりを頭の中で反芻し、隣に座る北条さんに恐る恐る訊ねた。
「……後輩に手当たり次第、聞いてるんですか?」
「まあな! 男女外国人問わず、というか後輩どころか先輩にも聞いてるし、まあ手当たり次第といえばそうだな!」
何だそうだったのか、と安心してため息をついた。
「もしかして、本当に引いたか? そんなに気持ち悪いかな、俺」
「いや別に、気持ち悪いとかそういう訳じゃないですけど。その子が言いそうな感じで可愛く言うのはちょっとな……と思って」
北条さんはそれを聞いて、確かにそれは恥ずかしいかもな、と大らかに笑った。
俺はそんな彼を見ながら、昔の事を思い出していた。
空からやってきた双子星の姉妹アイドルユニット『☆ツインクル☆』。
中学一年から三年の、僅か三年間でその活動を終え、二度と復活することは無い。
解散の理由は、空の上のお家に帰ることになったから、とは表向きの建前で、妹役だった俺の変声期がきっかけだった。
いずれは終わりが来ると分かっていた、最初は無理矢理やらされて苦痛だったはずのその活動が、気が付けば大切なものになっていた。
それでも本当の自分を隠して生き続けることは出来ないから、きっぱりと終わらせられたことは正解だったと思う。
苦しかったのは、ファンの皆を騙し続け、最後に悲しませたことだ。
アイドルを辞めてから入った高校では、ずっと好きだった星について学べる学校に進み、勉強以外の時間は音楽に打ち込んだ。
山奥にある高校で、俺は音楽以外のことを知ろうとはしなかった。
中学でほとんど無かった自分の時間を、まるで埋め合わせする様に、好きなこと一色の生活はとても楽しかった。
音楽関係に強い都会の大学へ進学してからは、本格的に音楽で食べていく為に努力を重ねている。
実際、思っていたよりも早くシンガーソングライターとして人気は出てきているとは思う。
でも、たまに過去の、『☆ツインクル☆のかづきちゃん』だった頃の自分を思い出す。
苦しくて、でもたくさんのものを得て、そして全てを手放した、あの頃の自分を。
『蛍センパイ』は、同じアイドル学校の男子部に通っていた一つ年上の先輩でありながら、『☆ツインクル☆のかづきちゃん』に本気で恋をしていた様で、とても熱心なファンだった。
そういう意味では印象に残っていた訳だが、俺の方には他のファンに対してと変わらない気持ちしかなかった。
最後に会話した日のことも、他のファンと同じ様に覚えている。
――蛍センパイ、ずっと好きでいてくれてありがとう! ボク、空の上のお家に帰っても、センパイの音楽聴くね! 蛍センパイが好きな音楽をもっと聴かせて欲しいって、ボクは思うよ!――
俺の言葉に、彼は泣きながら笑って頷いていた。
いつも、「かづきちゃん、好きだー!」とか言って笑っていたけど、その日の真っ赤な目元を見て、この人は俺に見せはしないけど凄くたくさん『☆ツインクル☆のかづきちゃん』を想って泣いてくれたんだと分かって、俺も今までで一番の笑顔で別れの言葉を告げたのだった。
「俺、いつかさ、白石と一緒に音楽出来たらなって思ってるんだ」
隣に座ってのんびりしていた北条さんは、ふとそんなことを言い出した。
「バンドってことですか?」
「うーん、二人で、かな! 白石の曲好きだし演奏したいし、でも俺の作る曲も演奏して欲しいし」
「そんな風に言って貰えるのは嬉しいです。でも、すみません、お断りさせて頂きます」
「お、おお……」
「北条さんの奏でる音は、俺も好きです。でも、俺は今、誰かとユニットを組んで活動するつもりはありません。折角誘って下さったのに、すみません」
誰かと一緒に、ということを考えて、一番最初に頭に浮かんだのは、『☆ツインクル☆』で姉役だった美空の顔だった。
解散しようと告げた日の、色んな感情がないまぜになった、不細工な笑顔。
ファンはもちろんだけど、誰かと一緒に何かをするということは、その相手のことも大事にしないといけない。
「……いや、正直に伝えてくれてありがとな! 大学の先輩からの誘いなんて、断りづらいよな、急に悪かった! でもさ、俺はやっぱりお前の作る音楽が好きだし、俺の作る音楽で歌って欲しいとも思う。もし、いつか誰かと一緒に音楽作りたくなった時は思い出してくれると嬉しい」
そう言って、彼は気持ちの良い笑顔で笑った。
「何か白石って、かづきちゃんに似てるかも。……目尻?」
「え、女子中学生に似てるって言われても嬉しくないですけど」
目尻をまじまじと見つめられて落ち着かない。
流石に顔つきもそれ以外も大きく成長してるだろ、とは思う。
現に俺の方だって、北条さんが『蛍センパイ』だとは気が付かなかった訳だし。
「悪い悪い、まあ何ていうか、見た目より中身が似てる気がするんだよな。俺の音が好きって、あの子も言ってくれたなあって、さっき思い出してさ」
北条さんは遠くを見て目を細めた。
「俺はさ、本当は男だとしても、宇宙人だとしても、そうじゃなかったとしても、あの子がずっと好きなんだ」
「おとっ……」
驚いて思い切りむせた俺の背中を心配そうに撫でてくれる。
「そういう噂もあったんだよ。男なんじゃないかとか、本当に宇宙人だとかそうじゃないとか。でもさ、そんなの関係ないんだよな」
「関係ない……?」
「あの子が何だとしても、やっぱり好きになるんだと思うよ、俺は」
俺は、それを聞いて、何となく昔言った自分の言葉を思い出した。
――蛍センパイが好きな音楽をもっと聴かせて欲しいって、ボクは思うよ!――
俺も蛍センパイの音楽が好きで、もっと聴きたいと、本心から思っていた。
「ふ、ははっ」
「? どうした?」
「いえ、何でもないです。俺、北条さんの音楽、これからも聴いていたいです!」
形や関係性が違ってしまっても、好きなものは好きっていうのは、何だか分かる気がするなあと思った。
この人のことを、蛍センパイと呼ぶことは二度と無いだろう。
でもきっと、ずっとこの人の音楽は好きでいるから。
いつか他のファンの人達とも、音楽で繋がることが出来たらいい。
そんな風に思った。
end.