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ひとりぼっちじゃない怪盗

 ――午後の暖かな日差しが、緊張で冷えて硬くなった私の手も心も温めてくれる。
 そう信じて、用意した紅茶を、自分の分と、もう一つのティーカップに注ぐ。
 この瞬間はいつも緊張する。
 けれど、表には出さず、目の前の彼に差し出した。
 彼は、香りを楽しんで一口、それを口に含んでから、目元を細めた。
「はい、合格です」
「当然よ、先生が良いのだから」
 先生とは彼――毛利さんのことだ。

 特殊な家に生まれたと、自分でも思う。
 私の名前は、保篠有世。
 保篠の家は、怪盗を生業としている。
 フランスで大怪盗だったご先祖様から始まり、その子孫である私の祖父は日本人の祖母と結ばれた。
 私の父は一族に倣い、今はフランスで怪盗をしている。
 母はイタリアで料理研究家をしているが、両親は幼い頃に離婚して、私と弟の有都は、その頃はまだ日本に居た父に引き取られた。
 私達の住む大きな屋敷は、それ自体が宝物庫の様になっていて、外部の人間が容易に侵入できない作りになっている。
 罠を張り巡らせた、ダンジョンや忍者屋敷といった様なものだ。
 小学生の私と弟はそんな家で、たったふたりきり、という訳では勿論無い。
 彼、毛利さんは、保篠の家に仕える一族の人間でお世話をしてくれる存在で、所謂、執事といったところだろうか。
 二十代前半の彼は兄の様であり、私達に様々なことを教えてくれている先生でもある。
 怪盗になる為に必要な、或いはそれ以外の色んなことを、彼は伝えてくれる。
 そんな彼はことあるごとに、こう口にしていた。
「一族の人間が怪盗を生業としているからと言って、貴方達が怪盗の道に進む必要はございません」
 どんな道に進むにも必ず役に立つから教えている、それを忘れない様に、と彼は言うのだった。

 テーブルを挟んだ向かいで、飄々とした笑みを浮かべながらティーカップを傾けるその人に、私は思い切って伝えることにした。
「進路を決めたわ」
 言うと決めてから、一週間は掛かってしまった。
 将来のことについて悩み出したのはもっと前のことだけど、伝えることがこんなに難しいとは思わなかったのだ。
 目の前の毛利さんに、動揺は一切見られない。
「来年は中学生、まだお早いのではございませんか」
「ええ、まだこの先、変わることもあるかもしれないけれど。ひとまずね」
「どういったものかお伺いしても?」
「怪盗よ」
「中学生で。それはまた、お若い怪盗ですね」
 その言葉に馬鹿にした様子はなさそうで、内心ほっとする。
 実力として、申し分ないと言ってくれていると感じる。
 けれど、私はその先の言葉を紡がねばならない。
 手をきつく握って気持ちを奮い立たせてから、表情は余裕たっぷりに言ってみせた。
「ただの怪盗じゃないわ」
「と、申しますと」
「アイドルで、怪盗なのよ」
「……アイドル……?」
 ぽかんと口を開けた間抜けな表情は、およそ彼らしくなくて思わず吹き出しそうになってしまった。
「アイドルというと、人前で歌って踊って笑顔を振りまく、あの……?」
「そうよ。実を言うと今日いきなり思いついたという訳じゃなくて、前から考えてはいたの」
 そう、あの夜、特別な女の子に出逢った日から、ずっと。
 ずっと目指してきてやりたいと思い続けてきた怪盗か、それとも、彼女を笑顔に出来るアイドルか。
 悩み続けた結論は、どちらも全力でやる、だった。
「アイドルですか……。演技や歌はそれなりに出来る様にお教えしてきましたが、まさか数ある職業の中でアイドルを選ばれるとは、少々意外ですね」
「そうかしら、目立つところに敢えて隠すのは、鉄板じゃない? それで、来年からアイドル学校に通おうと思うのだけれど、私としては四ツ星学園が――」
「四ツ星学園は駄目です」
「え?」
 ぴしゃりと告げられ、まさかここで止められるとは思わず、瞬間、悔しさが表に現れてしまった。
「避難がましい目をされても困ります。アイドル学校は、まあよろしいですが、四ツ星学園は駄目です」
「どうして」
「寮生活になるでしょう、この家を出るおつもりですか」
「ええ、そのつもりよ」
 ひとつため息をついて、毛利さんは私に言った。
「有世様が家にいないと、困ります」
 困る、とはどういうことだろうか。
 保篠の家の当主代理ではあるものの、小学生の私に仕事なんて何も無いというのに。
「……弟の有都様はまだ幼いのですよ、両親も近くにおられないのに、有世様までいなくなられては」
「この家には毛利さんがいるんだし、私も休みには帰るつもりよ。……それだけなの?」
 ちょっとした間が少し不自然で、思わず訪ねてしまう。
 戸惑いを私に見せる事なんて、これまでほとんどなかったからだ。
 毛利さんは逡巡し、私から目を逸らしてため息をついた。
「有世様が居ないと、寂しくなります」
「え……?」
 思いもしなかった言葉に、動揺が隠せない。
「寂しい? 毛利さんが?」
「おかしいでしょうか。ですが、貴方達がお生まれになった時からご一緒しておりますので。私にとっては家族の様な存在ですから、」
 顔を俯ける彼を見て、慌ててテーブル越しに身を乗り出して、両手で手を握った。
 毛利さんの手は震えていて、驚いた私は握った手に力を込めた。
 強く握ったからといって、震えが収まる訳では無いだろうけれど。
「正直、そんな風に思ってくれているとは思わなかった。でも、私にとってもずっと家族よ。誰よりも長い間、一緒に過ごしてきたんだもの。
家族で、先生で、大切な人よ、誰よりもね」
 そう言って笑いかけると、少し安心した様に手を握り返してくれる。
 彼はひとつ苦笑してから、少しずつ言葉を発していった。
「貴方達はとても良い生徒で、家族です。私が昔に想像していた以上にね」
「そう言って貰えると、私も有都も嬉しいわ」
「……正直に申し上げますと、」
 彼は目を細めて言った。
「最初は、面倒だったのです、私は」
「え?」
「今はそうは思っておりませんよ。それを前提としてお話致しますが、初めて三人きりで屋敷に残された日、私は途方に暮れそうになりました。保篠の家にお仕えする身分の私が、こんなことを言うのも何ですが。貴方達のお父様は、幼いお二人を残し、国を離れて、遠い地で怪盗となった。あの頃の私は、それが当然の事だと言われても、到底納得など出来ていなかったのです。今だって、貴方達のお父様も、離婚することになったお母様も、頻繁にお手紙やテレビ電話等は下さいますが、もっと貴方達の傍にいるべきだと私は思っています」
 こんな話を聞くのは初めてで、ただただ驚いた。
 私はもちろん、きっと有都も、普通の家庭がこうだなんて思ってはいない。
 だけど、少なくとも私は、これが私の家の在り方なのだと信じて疑わなかった。
 それに。
「私達には貴方がいるから、大丈夫よ」
 何よりも、寂しさを感じる暇が無い位、毎日が楽しくて。
 それは間違いなく、彼のお陰だったのだ。
 心の底から笑ってみせると、彼はハッとした様に眉尻を下げた。
「……ああ、いえ、とんだ言い訳でした。引き合いに出すなんて、何て愚かなのでしょうか。貴方達のお父様と共に、私の父もフランスへ渡りました。いつでもお傍にいることが我が毛利家の喜びなのだ、お前も充分に成長したから大丈夫だ、後のことは任せた、等と告げて。私はもっと、父に教えを乞いたかったのです。貴方達には師の様に振舞っておきながら、どこかで、もっと父に甘えていたかったのかもしれない。ご当主さえいなければ、私が毛利の子でなければ、と不毛なことも何度考えたか」
 彼が笑う、自分を嘲る様に。
「お恥ずかしい限りです。貴方達よりもずっと大人だというのに」
「大人なんかじゃないわ」
「え……?」
「毛利さんはきっとまだ、子供のままなのよ。もしかしたら有都くらい、小さいのかも。私の方がずっと、大人なんだわ」
 思い切り自信満々に言ったのに、毛利さんは一瞬驚いてから、思い切り噴き出した。
「ははは……っ、いや、失礼、レディーの発言に対して笑うなんて、失礼を、ふっ」
「本当に失礼だわ、来年には中学生なのよ?年齢だってあっという間に毛利さんに追いついちゃうから!」
「その頃には私も年を取っていますけどね、」
 ひとしきり笑ってから、彼はすっきりした表情で言った。
「よし、アイドルで怪盗、いいですね、協力致しましょう。何か策はお有りなのですか?」
「それなんだけれど、貴方にはお願いしたい、大事なことがあるのよ、」
 そう、私のやりたいことにはまだまだ、毛利さんの存在が必要なのだ。
 だけど、助力を求めることに遠慮なんてしない。
 私は自分に出来ることを全力でするし、出来ないことは一緒にやって貰って、乗り越えるつもりだ。
 やりたいことだって、欲張りだって何だって構わない。
 怪盗はひとりでやらなきゃいけない職業なんかじゃないと、私は思うのだ。
 だからきっと、毛利さんのお父さんも、フランスで一緒に行動しているんじゃないだろうか。
 私も怪盗をやるなら、毛利さんや有都と一緒にやりたいと思う。
「……いいでしょう、とことん付き合いますよ、大人として、先生として、ね」
 突拍子もない計画でも笑って付き合ってくれる頼もしい仲間となら、絶対にやれる。
 私は来年からのアイドルと怪盗活動が楽しみで、思い切り笑った。


end.

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