手を繋いで、秘密の花園へ
『Secret Garden』は、中等部に入学して間もない頃、ユニット活動について学ぶ授業で、お試しとして組んだユニットだった。
メンバーは、私、天宮千鳥と、同級生の片瀬歩美。
歩美はクラスが同じ、寮の部屋も同室で、一番最初に仲良くなった女の子。
その授業の間だけという短期間の限定的なユニットだったけれど、入学したての中学一年生にしては、発表したステージの出来が良かったと好評だったのを覚えている。
数年が経ち、それぞれが人気のアイドルとなった今、とある作品の主題歌に『Secret Garden』を起用したいと声がかかった。
学園が話題作りの為、数年越しにそのステージの動画を一般に向けて公開したらしく、作品の主演である私の過去のステージをチェックしていた制作チームのスタッフが、公開された動画を見たらしい。
監督や制作チーム全体の意見がまとまり、正式にオファーが来た時、初めてその動画が公開されていることを知った私はとても困惑し、オファーの返事を先延ばしにしてしまった。
寮の部屋のドアへ伸ばす手が重い。
歩美と顔を合わせるのにこんなに気が重くなるなんてことは初めてだった。
とはいえ、廊下でいつまでも立っていては、体も冷えてしまうし、他の生徒に見られれば何事かと心配されてしまうだろう。
ひとつ息を吐いて、ドアを開けた。
「あ、ちどりちゃん、おかえりなさい!」
どうやら仕事が終わって先に帰って来ていたらしい。
可愛らしい笑顔で私を出迎えた歩美は、端末を操作していた手を止めて立ち上がり、ぱたぱたと駆け寄ってきた。
「座ったままでいいのに」
「だっていつもすれ違ってばっかりなんだもん、お出迎えしたくて」
苦笑しながら言った私に対して、歩美は嬉しそうににこにこと笑っている。
お互いジャンルの違う仕事が多い為、夕方に部屋に一緒にいることは、最近では珍しい。
撮影の無い日は毎朝私が起こしているので、朝は結構な割合で一緒にいるのだけれど。
「そう、ありがとう」
「ほら、座って座って! 肩揉んであげる!」
「凝ってないから大丈夫よ」
遠慮しないで、と肩を揉みだす歩美につい忘れそうになっていたけれど、さっきのオファーのことがふと頭をよぎる。
気が重い。
顔を見ずとも空気で感じ取ったのか、肩で動いていた歩美の手が止まった。
「……? ちどりちゃん、何かあった?」
「……うん、でも何でもないわ」
「そう……?」
違和感に気付きつつも、仕事の内容なら相手が話さない限り深く聞くことは出来ない。
歩美は、それが芸能界の仕事のことだと気づいたらしく、無理に聞こうとはせず、話題を変えようと明るい声を出した。
「あ! オファーの件、聞いた?」
「……私たちのユニットの件でしょ? さっき聞いたわ」
「あの時の動画がアップされているなんて、全然知らなかったよ~」
「私もよ」
思わずぎくりとしてしまったが、持ち前の演技力によるポーカーフェイスで、気付かれていないつもりだった。
だが、思っていたより沈んだ声が出てしまっていたらしい。
「……ちどりちゃん、あんまり嬉しそうじゃないね」
その声に思わず勢いよく顔を向けると、少し寂しそうに苦笑する歩美の顔があった。
滅多に見ない表情に、胸を締め付けられる。
「ごめん……! そんな顔させたかった訳じゃないの」
「オファー、受けないの?」
「……悩んでるの。返事は、待って貰ってる」
「そっかあ……何かあったのって、そのこと?」
言葉するとこれ以上傷つけてしまいそうで、怖くなって、小さく頷いた。
歩美はもう一度、そっかあ、と繰り返した。
「ちどりちゃんが思う、作品のイメージに合わなかったとか?」
「ううん、スタッフさん達がオファーしてくれたのもわかるくらい、合ってると思う」
「でも、悩んでるんだ?」
「うん……」
私は歩美に正直に話した。
何かもやもやするのだと、こんな明確に言い表せない気持ちになったのは初めてなのだと。
それを聞いて、歩美は急に私の手を握ってきた。
歩美の手は温かく、私の手の冷たさが歩美に移らないか心配になる。
「いきなりどうしたの?」
「……ねえちどりちゃん、私、ちどりちゃんのハーブティー飲みたくなっちゃった!」
「え?」
「飲みたいなあ、あったかいハーブティー……」
お願いされると断れない、そんなこと分かっている筈なのに。
「甘えてるわね?」
「えへへ、甘えちゃだめ?」
「いいわよ、ちょっと待ってて」
お湯を沸かしに部屋を出ると、部屋との温度差もあって少し寒く感じた。
もしかして、一度頭を切り替えた方がいいと、気を利かせてくれたんだろうか。
部屋に戻ると、いつも向かい合わせに置いてあるクッションが、並べて置いてあった。
「あ、ちどりちゃん、おかえりなさい! ありがとう、寒かったよね、急にごめんね!」
そう言ってから、自分の座っている隣にあるクッションをポンポンと軽く叩いている。
隣に座れ、ということだろうか。
ローテーブルにハーブティーとお茶菓子をセッティングして、苦笑しながら大人しく隣に座る。
「わ、お菓子まで! ありがとう!」
「折角ふたりでゆっくりお茶が飲めるんだしね、とっておきよ」
「わーい! 最近忙しくてなかなかふたりでまったり出来なかったもんねえ、いただきます!」
「お花のプリンセスを目指している人間が、そんなにはしゃいでいいの?」
「今日はお休みだし、プリンセスだってきっとお休みがあったらはしゃいじゃうよ」
「そうかしら」
「そうだよー」
談笑しながら、歩美は部屋に帰った時、最初に操作していた端末をテーブルに置いた。
そこに映っているのは、懐かしい、あのステージだった。
「あゆみ、これ……」
「一緒に観ようと思って、検索しておいたんだよ」
「そうだったの」
「観るのも嫌?」
「そんなことないけど、恥ずかしいかも」
そう素直に溢すと、私もだから大丈夫だよ、二人で観よ!と笑って、歩美が再生ボタンを押す。
しばらくふたりで真剣に観ていたけど、ステージが終わってからもう一回観ようと伸ばす歩美の手を、思わず止めた。
「ちょっと待って、一旦落ち着きましょう」
「えー、何回観ても良いステージだよ?」
「恥ずかしくない……?だって今と全然違う」
「そんなのあたりまえだよ、歌も今より全然うまくないし、振り付けも全然動けてないもん。ちどりちゃん、自分の出ていたお芝居の映像は普通に観れるよね?」
そう言われればそうだ、とは思うけれど、何だか割り切れない。
「ちどりちゃん、もやもやしていて自分でもよくわからないって言ったよね。思いついたことがあったら、小さいことでも、何でも聞かせて欲しいな」
そう言われても……とつぶやきつつ、ハーブティーの入ったティーカップを口に運ぶ。
あたたかいそれが喉を通ると、じわりと安心感も広がった気がした。
「ユニット…。あゆみとひなたちゃんといろはちゃんと私で、四人でのお仕事もたくさんしたけど、学園の各組の代表としてそれぞれが集まってのものだったから、それはユニットっていう感覚が無かったの。姉妹ブランドでの仕事も、一年くらい有都くんと一緒にやったけど、それぞれのブランドを背負ってのミューズとして、という感じだった」
歩美はいつものふんわりとした雰囲気で、でも真剣に話を聞いてくれている。
「私は、ユニットでの活動が、特別で素敵なことだって、これまでみんなと一緒にいたから、よく見てきたから、知ってる。特に、二人でのユニット活動はお互いを……」
言葉が、上手く出てこない。
歩美やひなたちゃんやいろはちゃん、……それから消えてしまった可愛い双子星。
色んなユニットの子達の顔が次々に浮かんだ。
「ええっと、あと、歌の仕事だからあゆみとのユニットだと……負けそうで……。あれ、私……あゆみに、負けたくない、のかも……?」
歌は歩美の得意分野で、そういえば歌で勝負なんかしたことが無いと気づく。
「私に? そっかあ。ねえ、私も思ったこと言っていい?」
「あゆみも? もちろん」
三角座りをした歩美は、ティーカップの底を見つめながら話し出した。
「あのね、高等部を卒業したら、私は歌、ちどりちゃんはお芝居っていう、それぞれの活動をもっと頑張っていくよね。学校を卒業して、寮を出て、きっとお仕事でもプライベートでも一緒にいる時間が減っちゃう。それがね、寂しいなって」
「……ええ、そうね」
「高等部2年生の今、動画がアップされたり、こうやってお仕事のオファーが来たりしたの、奇跡みたいな凄いことなんだって思うの。中等部に入学した頃の私達とは違う、今の全力でやってみようよ。でも、今まですごくたくさん一緒にお仕事してきたけど、ユニットって形式のオファーは初めてだし、緊張しちゃうよね。私だって、ちどりちゃんに負けたくないし、負けないよ。」
「これは緊張、なのかしら……」
本当にそうかはわからないけれど、歩美が私に歌で負けたくないなんて信じられないな、と思う。
「ちどりちゃん、お芝居で磨かれたニュアンスとか表現の仕方を歌に活かすのがとっても上手だから、私いっつもびっくりしちゃうんだよねえ。そうくるんだー!って。私もまだまだちどりちゃんから学ぶこといっぱいだよ~」
思っていることが分かったのか、えへへ、と恥ずかしそうに伝えてくる歩美を見て、思わず黙ってしまう。
どこか無意識に、歩美は私と違うって思っていたのかもしれない。
「それにね、このお仕事が終わったら、私達きっと、またひとつ、なりたい自分に近づける気がしない?」
その言葉を聞いて、ふと、初めて会った日の事を思い出した。
――天宮千鳥です。私は魔女になりたいです。
――片瀬歩美です、お花のプリンセスを目指してます!
教室でした自己紹介を聞いて、すぐに分かった。
アイドルのキャラ付けの話じゃなくて、私と同じ、なりたい自分の生き方の話をしているんだって。
そうだ、あの時から私達は、違うけど、同じだった。
「上手くやれるかなんて、やってみなきゃわからないよ。折角の機会なんだし、この動画の頃の私達よりもっと素敵になった私達を、みんなに観て貰おうよ!」
「……」
「それで、50年後くらいにまたやって下さいってオファーが来たら、その時もまた一緒に考えよ!」
何十年も先の話をしてくるのを、きっと他の人なら笑うところなのかもしれないけど。
私は唇をきゅっと引き結んで、歩美を見つめた。
そのくらい先になっても、お互い歌と芝居を続けているのだと、当然の事だと疑わず話をしている。
そんな歩美を見て、次に口にする言葉なんて、もう決まっていた。
「このオファー、受けましょう」
歩美は一瞬ぽかんとしていたけれど、すぐにいつもの花が咲くような笑みを見せてくれた。
彼女はやっぱりどこまでも、親友で、仲間で、ライバルだ。
負けないように思いっきり笑って、今度は私から手を繋いだ。
あの時握った手は私だけが冷え切っていたけど、今はもうお互いすっかり温まっていた。
end.