top of page

『可愛い』の魔法をかけて

 ――茶倉彩葉さんは、本人の希望で、明日から組替えとなります。
 先生が告げた言葉にざわめく教室で、これまでお世話になりました、と挨拶をしたのは、今から一時間程前のこと。
 レッスン着から制服に着替えた私は、背筋を伸ばして廊下を歩いている。
 寮の部屋に戻って色々準備をしなければ、と考えていると、後ろから足音と声が響いてきた。
「いろはちゃん、待って!」
「ちどり先輩、」
 先輩が息を切らして走っているのを初めて見た。
 廊下を走って先生に怒られているところも。
 珍しさに目を丸くしつつも、ちょっぴりラッキーだと思ってしまうのは、許して欲しいところ。
 先輩は私の目の前に立って、息を整えてから話し始めた。
「いろはちゃんが劇組から美組に組替えするって、さっき先生に聞いたんだけど、本当?」
 戸惑いが伝わってきて初めて、先輩にこうして話すシミュレーションは全然していなかったなと気が付いた。
「そう、なんです……。
ちどり先輩にはたくさんお世話になったのに、申し訳ございません……」
 頭を下げた私に、千鳥先輩は慌てた様子で言う。
「そんな、謝らないでいいのよ。だって、いろはちゃんには美組が合ってるって、私もずっと思っていたもの。お芝居がどうこうとかじゃなくて、モデルのお仕事が好きでしょ?」
 きっと、千鳥先輩じゃなくても、誰が見てもそうだとわかっていたかもしれない。
 それでも、直接こうして話をしに来てくれたことが、何より嬉しくて。
「……はい、大好きです」
 モデルのお仕事も、貴方も。
 全部は口にはしなかったけれど、想いを込めて、私の精一杯で笑った。


 小さい頃から私は、両親からだけではなく、色んな人に出会う度、可愛いと言われていた。
 嬉しくて、もっと可愛くなりたくて、私はある日、自分でリボンのついたアクセサリーを作った。
 幼い子供なりに上手く出来たアクセサリーを身につけて、同じ色のワンピースを自分で選んで着て。
 いつもの様に可愛いとたくさん声を掛けられる中、“それ”は急に私の心に影を落とした。
 ――リボンをしていても、していなくても、いろはちゃんは可愛いよ。
 “それ”は、発した人間にとっては何でもない言葉だったのかもしれない。
 初めは違和感を覚える程度だったけれど、繰り返される度、どんどん窮屈に感じて。
 気が付いてしまったのだ。
 私は、私が作ったアクセサリーを、自分が考えたコーデを、褒めて欲しかったのだということに。
 自分のやったことを、素敵だと言って欲しかった。
 ただそれだけだった。
 それに気が付いてからは、もっと頑張ってアクセサリーを作ったり、毎日違うコーデを実践してみたりした。
 考えたり作ったり、実際に着てみた瞬間は凄く楽しかったけれど、家族や周囲の人間に見せた時の反応は一向に変わることなく、私を憂鬱にさせた。
 ――いろはちゃんは可愛いね
 私の頑張りに目がいかないほど、私が可愛い、なんて。
 嬉しいことだと捉えることがどうしても出来ず、その内に段々と、自分に向けられる“可愛い”の言葉そのものが嬉しくなくなっていってしまったのだった。


 小学四年生の夏、両親の友人が関わっているという舞台を一緒に観に行くことになった。
 その日は暑かったので、見た目に涼しいチョコミントアイスをイメージしたコーデにしていた。
 ミントグリーンのワンピースに、チョコレートブラウンのリボンをアクセントにして。
 靴と靴下は明るめのブラウンでアイスのコーンを意識した、自分でも可愛いと思える仕上がりに朝からご機嫌だった。
 家族からはいつもの通り、“いろはちゃんは可愛い”という言葉しか貰えなかったが。
 その頃には、心にも無いありがとうの言葉を微笑みながら返せるくらいになってしまっていた。
 観劇が終わり、両親が友人に挨拶に行っている間、私はロビーにあるソファーに一人で座って、衣装を着たままの役者達、観に来た
観客達の服装を見ながら、私は人間観察、もといコーデの分析をしていた。
 衣装はまだまだ未知の領域だけれど、観客については流行りや個人のこだわりであろう部分は、見ればすぐにわかる。
 たくさんのおしゃれを吸収出来て楽しい、来てよかったと感じていた時。
「――いた! ねえ、あなた!」
 目の前から駆け寄ってきた、同じくらいの年齢の少女に、いきなり声を掛けられた。
「え、わたし、ですか……?」
「そう、あなたよ!」
 魔女の衣装を着た少女は、先ほどの舞台に立っていたのを記憶している。
 大人に混ざっても遜色の無い、演技の上手い子役の女の子。
 他の大人たちの芝居を壊さないのは凄いと思ったけれど、お芝居に興味の無い私にとっては、それだけの印象だった。
 きらきらした瞳を向けて目の前に立つ彼女は、嬉しそうな表情で、私に言ったのだ。
「ねえ、そのコーデ、チョコミントでしょ? 可愛いね!」
 ずっと待ち望んでいた、魔法の様なその言葉を。

 隣に座ってもいい?と聞いた彼女に、私は勢いよく何度も頷いた。
 嬉しくて、胸がバクバクして、言葉が何も出てこなかったから。
 「私、舞台に立ってたんだけど――あ、この衣装見ればわかるかな。
 それでね、舞台の上から貴方が見えたんだけど、チョコミントみたいで凄く可愛いって思って! まだ帰ってなくてよかった!」
「え……舞台上から、客席の私が見えたんですか……?」
「実は、意外と見えるものなのよ」
 大きい劇場だとそうもいかないけど、ここはそんなに大きくないから、と笑う彼女。
「それにしても、近くで見てもやっぱり可愛いね! お洋服のリボンだけじゃなくて、髪留めもチョコレート色なんだ……!」
「はい、これは私が作ったリボンバレッタなんですけど……」
「え! 自分で作ったの? 凄いね、可愛い!」
 誰も見てくれないと思っていたのに、この人はひとつひとつに気が付いて、心から可愛いと言ってくれているのだと分かる。
 こんなに嬉しいと感じたのは初めてで、初対面の相手だけれど、話しているだけで心がじんわり温かくなった。
「あ! 靴と靴下、明るいブラウン……アイスのコーンみたいな色、ということは、もしかして……!」
「「チョコミントアイス!」」
「……なん、です……」
 二人で声を合わせて言ってしまってから、熱くなった顔を見られるのが恥ずかしくて、斜め下を向いた。
 視界に入ってきた、丸いおでこが可愛い靴も、履いてきてよかった。
「やっぱり! あのね、私、チョコミントアイスが大好きなの! こんなに可愛いコーデが見れて嬉しいな、今日、貴方に会えて良かった!」
 コーデをこんなに褒められたことは初めてで嬉しくて、でも貪欲な私はもっと欲しくなって、意を決して問いかけた。
「あの、」
「何?」
「もし、チョコミントアイスじゃなくて……例えば、ストロベリーチョコのイメージのコーデだったとしたら、
私に声を掛けてはくれませんでしたか?」
「……うーん、どうかな? でも、」
 しっかり時間を掛けて考えてから、こちらに向き直って、彼女は言ったのだ。
「ストロベリーチョコ可愛い!って思ったと思う!」
 私はその言葉で、目の前の小さな魔女さんのことが、すっかり好きになってしまったのだった。

 それから私は、彼女の出演する舞台を観に、お小遣いを片手に、劇場に足を運ぶ様になった。
 彼女――天宮千鳥の演技はどんどん上達していって、表情も大人びていったけれど、終演後にロビーで話す時は、最初に会った時と変わらない笑顔のままだった。
 一回一回は短い時間であったものの、何度も話す内、色んなことを知ることが出来た。
 彼女の方がひとつ年上であること。
 魔女の様な生き方をしている祖母に憧れていて自分もそうなりたいのだということ。
 甘えん坊な妹が段々しっかりしてきて最近少し寂しいこと。
 仲の良い、素敵な従姉妹がいること。
 ――私のコーデを見てから、もっとチョコミントアイスが好きになったこと。
 会う度コーデも私のこともたくさん褒めてくれて、私もその分、お芝居の感想を言って。
 私は彼女と話す時間が好きで、彼女のことがもっと知りたくて、頭はどんどん彼女のことでいっぱいになっていった。

 小学五年生の冬、次回作の公演予告に、彼女の名前が載っていないことに気が付いた。
 いつも通り終演後のロビーで声を掛けて、その事について訊ねてみると。
「私、ここの舞台にはもう出ないの」
 そう、告げられた。
 胸の中がぐるぐるして、どうして、と辛うじてか細い声しか出なかったけれど、彼女は聞き逃さないでいてくれた。
「四月から、四ツ星学園っていうところに通うの。そこで演技の勉強をすることにしたのよ」
 いろはちゃんともしばらく会えなくなっちゃうね、ドラマや映画や舞台に出られる様に頑張るね、なんて言って笑うから。
 私は俯いて、頑張って下さい、と小さく言うことしか出来なかった。

 それから帰ってすぐに四ツ星学園について調べ、中学からはここに通いたいのだと両親に話した。
 私の容姿を普段から褒めちぎっていた両親は、寮生活に心配したくらいで、ほとんど反対しなかった。
 “いろはちゃんは可愛いからね”とまた嬉しくない言葉を告げられ、私は冷えた心を隠しながら、ありがとうと微笑んだ。
 彼女を思い出す。
 コーデをたくさん褒めてくれた。
 可愛いと言ってくれた。
 彼女からの『可愛い』は、コーデだけじゃなくて私に向けたものだったことも何度かあったけれど、凄く嬉しかった。
 もっと話したい、一緒にいたい。
 ただその一心で、入学オーディションを受け――合格した。
 入学後は先輩と同じ、お芝居を学べる劇組に入った。
 傍に居られるなら何だって良かったから、自分のやりたいことなんて考えもしなかった。
 それでも、たまに入るモデルの仕事に、私は心惹かれていたのかもしれない。
 組替えを決意した時、モデルの仕事がもっと出来る、美組しか目に入らなかったから。

 学園に四つある組の中から代表メンバーが1人ずつ選ばれ、構成される「S4」。
 一年に一度、学年末に行われる選考会「S4決定戦」の開催が迫る中、私は劇組から美組に組替えすることに決めた。
 劇組の代表には、千鳥先輩が選ばれるであろうと、劇組内ではあちらこちらで話されていた。
 実際、彼女は劇組内でも他の子達より実力が頭一つ飛び抜けていたので、当然私も彼女が選ばれると信じ、私はそれを支える幹部生になれれば良いと思っていたのだ。
 片瀬歩美が、歌組の代表の有力候補だと聞くまでは。
 千鳥先輩と同じ学年でルームメイト、そして親友でもある片瀬歩美は、アイドルとしては満点の存在だった。
 お芝居以外では決して弱音を吐かず、涙も見せない。
 人の心を動かす、歌と笑顔の持ち主。
 そんな彼女のことが、私は大嫌いだった。
 私は、千鳥先輩にとって自分が誰より特別な存在でありたいと願っている。
 けれど実際は、片瀬歩美が千鳥先輩の一番近くにいるのだと思うと、自分の奥底からふつふつと煮えた感覚がするのだ。
 それが嫉妬だと気が付くのに、時間はかからなかった。
 嫌いだからよく見ていて、だからこそよく分かっている。
 彼女はきっと、歌組の代表になるだろう。
 どうすれば私が千鳥先輩の隣に立てるのか考えた結果が、「S4決定戦」の前に組を替える事だった。
 もちろん、美組でずっとレッスンを積んできている人達には、生半可な努力では勝てない。
 けれど私は、これからの短期間で、成し遂げるしかないのだ。
 やってみせる。
 それだけが、片瀬歩美と対等の位置に、千鳥先輩の隣に立てる、唯一の方法なのだから。


 私にとってこの人が特別である様に、私もこの人にとっての特別になりたい。
 それも、一番がいい。
 二番目なんて、絶対に嫌だ。
 組替えを告げて廊下に立っている私は、目の前の大好きな人を見つめた。
 お芝居にひたむきで、ちょっぴり不器用で、周りの人をとても大切にしている。
 そんなこの人が、これまでもこれからも、ずっと特別に、好き。
「私、千鳥先輩に初めて会った日、魔法をかけて貰いました。……私にとっては、もうあの時からずっと、千鳥先輩は素敵な魔法をかけてくれる、魔女さんなんですよ」
 私の言葉を聞いて、先輩は長い睫毛を瞬かせ、それから微かに瞼を震わせた。
「私も、美組で、モデルのお仕事をたくさん頑張って。みんながおしゃれを心から楽しめる様な、魔法をかけてみせます」
「出来るよ、いろはちゃんなら。だって……」
 そこまで言ってから、千鳥先輩は笑って首を振った。
「……ううん、やっぱり何でもない。いろはちゃんなら絶対、大丈夫! でももし何かあったら私に言ってね、出来る限り力になるから」
 そう言って笑いかけてくれる千鳥先輩の瞳に、私はどう見えているのだろう。
 今はただの後輩のひとりであったとしても、可愛く見えているといい。
「じゃあ、ひとつお願いしても良いですか?」
 私は、さながら祈る様に、胸の前で手を組んだ。
「『可愛い』って、言って下さい。千鳥先輩からの『可愛い』があれば、百人力です……!」
 どんな困難な道に進むとしても、私は何も怖くない。
 心からの微笑みを送る私に、大好きな魔女さんは、これからとびきりの『可愛い』の魔法をかけてくれるに違いないのだから。


end.

bottom of page