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ガラス玉が息する音

 普通科からアイドル科に編入したばかりの私は日々のレッスンをこなすことに必死で、オーディションに勝って仕事をするなんて夢のまた夢、という感じで。
 自分の持ち味みたいなものも分からず、焦るばかりだった。
 そんな毎日が続いていたけど、ある日、大好きな七海先輩から声がかかった。
 七海先輩の仕事の現場に、連れて行って貰えることになったのだ。
 見学だってそうチャンスがある訳じゃない。
 私はすぐに、行きますと返事をした。
 当日、待ち合わせの駅に向かうと、隣のクラスの藤間寧々子(とうま・ねねこ)ちゃんの姿があった。
「おはよう、寧々子ちゃん」
「くるみちゃん、おはよう」
 私の名前は胡桃沢燈(くるみざわ・あかり)というのだが、仲の良い人達には、くるみちゃん、と呼んで貰っている。
 彼女、寧々子ちゃんとはそんなに直接話したことは無いのだが、私の親友と仲が良いらしく、度々話題に上る為、お互いによく知った間柄だった。
 そして親友以外に、私の良く知る寧々子ちゃんと仲の良い人間が、七海先輩だ。
「ねねちゃん~、くるちゃん~、おはよお~」
 どうやら今日は、この三人での行動になるらしい。
 普段のレッスンとは全然違う一日になりそうで、私は凄くわくわくした。


 海沿いのカフェを訪ねるお仕事は、収録が押すことも特に無く、順調に終了した。
 現場の空気、先輩とスタッフさん達とのやりとり、ひとつひとつがとても勉強になった。

 人魚姫に憧れている、のんびり屋さんな宝森七海(たからもり・ななみ)ちゃん、いや、七海先輩は私の憧れの存在だ。
 小学生の時にアイドルとしてデビューした彼女を知ってから好きになって、中等部の普通科に入ってから、ひょんなことから知り合って。
 彼女の様になりたくて、まずは髪型から真似しようとしたけれど、毛量が足りなくて、彼女の様なボリューミーなふたつ縛りには出来ず、せめてボリュームだけでも近づけようと、私はひとつに髪をまとめ、前髪や横髪だけは似せたのだ。
 それから色々あって、私はアイドルになりたいと思った。
 彼女に貰ったたくさんの元気や幸せを、私も笑顔と一緒にみんなに届けたいと思ったからだ。
 七海先輩は、今日も素敵な笑顔で笑っている。


 スタッフさん達と別れてから、せっかく海まで来たのに帰るのももったいないね、なんて言って、しばらく海沿いの街を歩いた。
 途中立ち寄った店で買い物をしたりして、知らない町の通りを満喫した後、私達は海を眺めながら、七海先輩を真ん中にして三人で堤防に並んで座った。
 きらきらと輝く水面がちょっぴり眩しくて、少し目を細める。
「ななは先輩だからねえ、ふたりにおすそ分けだよお」
 先輩がにこにこと笑いながら手元のビニール袋から取り出したのは、瓶入りラムネだった。
 見ただけで嬉しくなるおすそわけに、私と寧々子ちゃんはお礼を言って、それぞれ受け取った。
 栓を開けると、カラン、とビー玉が瓶の中で転がって、しゅわしゅわとまるで息を吹き返したように音を立てる。
 寧々子ちゃんは開け方が分からなかった様だったので、開け方を教えたのだけれど、上手く出来ない様だったので栓を開けてあげた。
「凄い……!くるみちゃん、ありがと、凄いね……!」
 前にカフェでこっそり働いていた時に覚えたとは言えず、曖昧な笑顔で返す。
 キラキラした目でラムネを持ち上げたりして見つめる寧々子ちゃんに、さあさあと声を掛けて、七海先輩は乾杯の音頭を取った。
「美味しいラムネ女子会にかんぱあい!」
「乾杯……!」
「かんぱい。……ラムネ、綺麗だね、ねねこ、ラムネ初めて飲むよ」
 いただきます、と口にした寧々子ちゃんはそもそも炭酸を普段あまり飲まないのか、驚いたり楽しんだりであわあわしていた。
 寧々子ちゃんは、猫の様にマイペースで気ままなところがかっこいいなあと思っていたけど、こうしているととても可愛い。
 今日、来てよかった。
 七海先輩とも寧々子ちゃんとも、もっと仲良くなれた気がする。
 私は、ラムネで喉を潤してから、七海先輩の方を向いて言った。
「ありがとうございます。とっても美味しいです」
「えへへ、なな、ラムネ大好きなんだあ。寧々子ちゃんもくるみちゃんも大好きだから、海を見ながら一緒に飲めて嬉しいよお」
 好きな物を共有してくれたことが嬉しくて、私は胸がいっぱいになった。
 思ったことはちゃんと伝えなければいけない。
「あの、改めて言わせてください。私、ずっとアイドル科に編入する前から、ずっと七海先輩のことが好きでした!」
「うん、えへへ、ありがとお!ななも、くるちゃんのこと、大好きだよ~!」
 ぎゅうっと横から抱き着いてくる七海先輩を、私もそっと優しく抱きしめ返す。
 先輩越しに見た寧々子ちゃんは、特にこちらを気にしていない様で、ラムネの中のビー玉をころころと転がしていた。
「なな、大好きなくるちゃんに何かしてあげたいなあ」
「そ、そんな……今日呼んで下さっただけで充分嬉しいです! あ、で、でも、なかなか先輩とこうやってのんびりお話出来る機会も無いし、折角だから何か質問、とか……」
 調子に乗ってしまったかと思ったけど、むしろ嬉しそうに、七海先輩は言った。
「何でもいいよ~、ななに答えられることならねえ」
「えっと、それじゃあ……」
 私は少し考えてから、七海先輩が人魚になりたいと思ったきっかけを聞いてみた。
「人魚になりたいと思ったきっかけはねえ、海が好きだったのと、人魚姫の絵本をよく読んでいたからだよ~」
「なるほど……!じゃあ、泳ぎを頑張って練習しているのは、どうしてですか? やっぱり、海が好きだからですか?」
 雑誌のインタビューでは内緒だと言っていたのを思い出し、泳ぎの話も思い切って聞いてみた。
 先輩と仲良しの寧々子ちゃんもいるし、もしかしたら聞けるんじゃないかと思って。
 七海先輩は人魚姫に憧れているけど、泳げない。
 よくプールに練習しに行っているのは知っているが、理由が内緒というのは何故なのか、頭でどこか引っ掛かっていた。
 先輩は、ちょっとだけ考える様な間をもたせてから、いつもの調子で言った。
「初恋の男の子がねえ、海で溺れて亡くなったんだ~」
 突然の、およそ、七海先輩の口から出たとは思えない言葉に、私は言葉を失って、寧々子ちゃんを見た。
 寧々子ちゃんも目を見開いて驚いている様子だったので、初めて聞いたのだろう。
 自分から聞いた手前、引くに引けなくなった私は、声を震わせながら尋ねる。
「海で、溺れて……?」
「うん。ななの育った港町の海でね。幼稚園の時から大好きだった男の子なんだあ。小学生の時に亡くなっちゃったんだけど、素敵な子だったんだよ」
 七海先輩は笑って、ラムネの瓶を揺らして、からりと鳴らした。
 中のビー玉は普通に転がっただけなのに、少し寂しい音がした気がした。
「ななは、大人になれば、泳げるようになれば、助けられる様になるかもしれないなあって思ったんだよねえ」
 だから。
 七海先輩は、寝る子は育つ、と聞いてたくさん寝る様になったのか、とか。
 なかなか泳げるようにならないけど、諦めずに泳ぎの練習をしているのか、とか。
 物凄い話を聞いてしまったと、ぐるぐる考えてしまって何も言えない。
 だって、今も、大人になっても、泳げるようになっても、その彼はもう生き返ることなんてない。
 黙ってしまった私に、気を悪くした様子もなく、七海先輩はにこにこ笑って海を見つめている。
 寧々子ちゃんがしばらく唸ってから、七海先輩に声を掛けた。
「ななちゃん先輩は、泳げる様になったら、誰を助けてあげるの?」
「ね、寧々子ちゃん……!」
 思わず言葉で止めはしたものの、私も返答が気になって、七海先輩を見つめた。
 こうやって遠慮なく声を掛けられるのは、ふたりの仲が良いからだろうかなんて考える。
 不謹慎だけど、少し、いや凄く羨ましく思った。
「うーん、誰かなあ。その時溺れてる人がいればその人かなあ」
 先輩は、その場で足をばたばたさせながら言った。
 腑に落ちない顔をして、寧々子ちゃんがそっかあ、と返事をする。
 私も、さっきのは答えが難しい、もしかしたら答えが無い問い掛けだったのかもしれないなと思った。
 ラムネの瓶をぎゅっと握って、息を吐いた。
 私が言えることは、これしかない。 
「あの……泳げる様になったら、まずは、七海先輩を助けてあげて下さい」
 私にも意味が分からない。
 でも、七海先輩に、自分を大切にして欲しくて、そう伝えた。
「ななを?……そっかあ、うん、そうするね」
 不思議そうな表情から、何だか安心したような、いつもより優しい、柔らかい笑顔でふにゃりと笑う。

「アイドルになりたいと思ったのは何で?」
 寧々子ちゃんが、七海先輩に尋ねた。
「それはねえ、」
「大好きな歌をみんなに聴いて欲しかったから!…ですよね…?」
 自信満々に七海先輩の言葉を取ったくせに、つい尻すぼみになってしまう。
「正解〜!よくできました!はなまるあげるねえ〜」
 そう言って私のほっぺに指で花丸を描いた七海先輩は、えへへと笑ってから呟いた。
「…さっきの話は内緒だよ? ななと、くるちゃんと、ねねちゃんの、三人の秘密ね」
 いい?と七海先輩の前に差し出された小指を見て、私と寧々子ちゃんはそれぞれの小指を出して、絡ませた。

 それから、私達は夕暮れ時まで、堤防で座ったまま、色んな話をした。
 寧々子ちゃんのうみねこの真似が凄く上手かったり、私の家族の話をしたり、みんなのやりたい仕事の話をしたり。
 凄く楽しくて、でも帰るのが嫌になるなんてことはなかった。
 私は、今日の色んなことを忘れずに、明日からも頑張らなきゃ、と思ったからだ。
 ふたりと一緒に、アイドルの仕事が出来るように。

 家に帰って部屋着に着替えた私は、夜風を受けながら、鼻歌を歌う。
 先輩のくれたラムネは、最後の一滴まで甘くて爽やかで、私に元気をくれた。
 捨てちゃうのがもったいなくて、帰ってから中のビー玉を取り出して、洗ったビー玉を取っておくことにした。
 寂しいも、楽しいも、たくさん詰まった綺麗なガラス玉。
 そんなアイドルになれたらいいな、という思いを込めて、そっとビー玉に触れる。
 あの堤防で聴いた、ラムネ瓶とビー玉から生まれた色んな音が聴こえた気がして、私はまるでビー玉が生きてるみたいだな、と思った。


end.

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